隔週水曜日にわたくし、よっしーがお届けしている「はじめての瞑想入門」。
過去2回は、全体の説明と、瞑想のメリットをお伝えしました。
「はじめての瞑想入門」はじめます
瞑想のメリットってなに? はじめての瞑想入門 第2回
3回めの今回は、いよいよ実践。集中瞑想をご紹介します。
隔週水曜日にわたくし、よっしーがお届けしている「はじめての瞑想入門」。
過去2回は、全体の説明と、瞑想のメリットをお伝えしました。
「はじめての瞑想入門」はじめます
瞑想のメリットってなに? はじめての瞑想入門 第2回
3回めの今回は、いよいよ実践。集中瞑想をご紹介します。
こんにちは!Lyustyleです。目からウロコの子育てレシピ第2回目は,「するなといったことをしたがる子」にいったいどのように接したらいいのか,ということについてお話します。
そもそもなぜ大人は子どもになぜ「するな」というのでしょうか。ここから課題を切り分けていきたいと思います。
まず、大きな危険が目の前に迫っているときです。
赤信号なのに渡ろうとした、燃えているストーブに触ろうとしている、扇風機に近づいて羽に指を入れそうだ・・・。
そのようなときは、ことばいぜんにからだをつかって止めに入ることになるでしょう。
「するな」というより,体を張ってでもさせてはなりませんね。
こんなことをしていると、きっと後から困ることになる。この子の未来のためだ、やめさせなければ,という先が見えるゆえの先取りです。
失敗させないためにあらかじめ先回りをして,先に見える不利益から回避させるための「するな」ですね。「子どもだけでお店に行くな」「漫画ばかり読むな」「くだらない遊びをするな」などがこれにあたるでしょう。
軽微な危険への遭遇回避などもこれにあたるでしょう。木や塀に登りたがるのを危ないからやめさせるとか。カッターや肥後守(わかる人,いるのかな)はケガをするので持たせないとか。
公共交通機関の車内で大声で喋るとか、店内で走り回るとか,そんなことを続けていたら,きっと回りから叱られる・・・。だから「じっとしてなさい。動き回らないで!大きな声でしゃべらないの!」もうハラハラの連続です。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
しかし,子どもたちは大人の思惑などまったく考慮しません。したいものはしたいのです。
悪いことであろうがなかろうが、やりたい。先に待ち受けている危険や不利益など,今はなにもないのだから関係ありません。子どもにとっては、それをすることが心の安定につながります。また,親の禁止を押し切って実行することによって伸ばされる能力だってあります。
だから厄介なのですけれども。
先ほども述べたように,「するな」の対象には、軽微なこともあれば、命に関わるほどの重篤なこともあります。ストーブに触ってみたいからといって、「それに触ってみなければ安心しないから」と放置しておくことはできません。ストーブに触って目的を達して安心した瞬間、取り返しのつかないような大やけどを負ってしまっては元も子もありません。心の安定や能力の伸長どころではないのです。
しかし、させたくない理由が全く大人の都合にある場合。
自分の心配の回避や、面倒なことになるのはいや、という理由の場合、その「するな」は子どもにとっては納得ができなかったり、余計なお世話だったりします。
したがって,子どもの都合と大人の都合との間で折り合いをつけることが必要になります。
そのためには,なぜこの子はそれをしたがるのか、というこを知ることが必要です。
子どもにも、それなりに理由や都合があります。発達途上ではありますが、一個の独立した尊い人格です。その歳なりの切実な理由があります。だから,一概に「するな」ということはできません。「ならぬものはなりませぬ」は安全上のこと,社会規範上のことでは必要ですが,大人側の都合だけでそれを言うことはできません。それだけでは子どもの様々な能力は成長でないからです。
有無を言わずに阻止しなければならないのか、我慢して乗り越えさせなければならないのか、自分で解決しなければならないのか、それぞれ切り分けてみることで、適切な対応が見えてきます。
それでは,子どもの様々な都合についてみてみましょう。
ここでは7つの例について述べてみたいと思います。
・するなといわれても,そもそも,それをしてはならないということを知らなかった例
・するなといわれてもやるまで気が済まないという例
・心理的な埋め合わせによる代償行動である例
・自分に注目してほしいからする例
・犯行によって権威と張り合うためにする例
・発達上の何らかの障害による例
・他者からの強制によりやむなくする例
ひとつひとつ見ていきましょう。
そもそもまだそれをしてはならないということを知らないことがあります。
私の息子が、4歳の頃、パン屋でジャムをとってきてしまったことがあります。
家に帰るとジャムを大事そうに手のひらから出しました。びっくりしました。我が子は万引きをしてしまったのか。
人のものをとってはならないということは日ごろからしっかり教えているつもりでした。
しかし,あれだけ言っているのにとってしまった。
こんなに小さなうちから店のものをとってくるようでは大変なことになる。
もう本当に青ざめました。
しかしつれあいが話を聞いてみると、違う姿が見えてきました。
レジのところにあるバケットに山盛りに入れてあったので、コーヒーに入れるミルクのように欲しいなら持って行きなさいというものだと思ったということです。
それが商品であることを知らなかったのです。すぐに息子にそのことを教えました。そしてそれは勝手に持ってきたら万引きと同じことになると話しました。そして店に戻り、わけを話して息子と一緒に謝りました。もちろん、息子はその後、店のものを勝手に持ってくることはなくなりました。とってはいけない商品であるということを知ったからです。
こういう場合は知らないだけなので教えてあげればいいですね。
子どもの頃、あれは私が3年生くらいだったと思いますが、いつも行く裏山に切り立った崖があり、足をかけて登れるように誰かが穴を穿っていました。10メートルくらいはあるがけです。上級生のお兄ちゃん達でも登らない、子ども心にもやばいと思ってしまうような高くて急ながけです。
それでも登って見たくてウズウズしていた私は、あるとき友達の制止も聞かずに崖の穴に足をかけてしまいました。結果は御察しの通りです。中ほどあたりでそれ以上登れなくなり、かといって降りることもできず立ち往生してしまいました。
子ども心に「これは、詰んだ!もうおしまいだ」とおもったことをよく覚えています。どうしようもなくなってそのまま手をはなし,崖を滑りおりたわけですが、お腹も手のひらもすりむけてしまいました。
立ち往生しているときは、しなきゃよかったと心から後悔しましたが、滑り降りた後は泣きながらも何事もなかったかのように家に帰りました。
私は気が済んだのです。
生死やケガに関わるので、例としては適当ではなかったかもしれませんが、子どもにとっては自分で解決しなければならない課題があるという意味合いはおわかりいただけたのではないでしょうか。
安全や反社会的行動に結びつくものでない限り、その結果が親の面倒程度で済むのなら目をつむって完結させてやることも必要です。
私の息子は、1歳くらいの頃,毎朝私の本棚の本を全部引っ張り出していましたが、そのあとのお片づけを一緒にしているうちに何かが自分の中で解決できたのでしょう、そのうちやらなくなりました。経験することによって解決できた課題,伸ばせた能力がきっとあったはずです。
いつも毛布を持っていないと気が済まないとか、ずっと髪を触り続けているなど、自分の意思と関係なくやっていることがあります。
ダメとわかっていてもいつの間にかやっている。大人は困った癖だ、とおもってやめさせようとしますが、無理してやめさせると隠れてするようになります。
そして、そういう自分を悪い子だと思って苦しむようになることがあります。
その行為を心理的な埋め合わせによる代償行動であると親や教師が受け止めたら、その原因を突き止めることになりますが、「あなたは何で髪を触り続けているの」など直接的な問いただしは意味がないでしょう。本人にもわからないことが多いのですから。
ここでも必要なのはその子の話を傾聴の姿勢で聴くことです。何か話したそうだったら一心に聴いてあげてください。何らかの答えが見つかるでしょうし,聴いてあげること自体が次第に解決に結び付くこともあるでしょう。
また専門家によるカウンセリングなどもあります。
そのことをしたいかどうかにかかわらず、親、先生などの注目を浴びたいために何かをする場合があります。
ものを破くとか、わざと服を汚すとか、いたずら書きをするとか,机やいすをどんどんならすとか。叱られるという関係づくりにより、相手を自分に注目させ、独り占めしようとするのです。
だから、叱るとそれが成功体験になる。つまり、「叱ってもらえた」ということになり、同じ行動を繰り返していきます。
いくら叱っても同じことの繰り返し。子どもに改善が見られないので、親や教師は疲弊していきます。
ここでの適切な対応は無視することのように思いがちですが,そうではありません。無視するともっとひどくなるか、自尊感情を傷つけてしまうか、ということになるからです。
「そんなことしなくてもちゃんと◯君のことを見てるんだよ」と言葉で言ってあげたり、良いことをした時に嬉しがってあげたり(ほめるのではなく)などをくりかえして、悪いことで注意をひくという行為は必要ないことに気づかせてあげることがここでの適切な対応になるでしょう。
それまでは、気をひく行為の後は叱ってやめさせようとするのではなく、「こまったな」「かなしいな」などと言いながらたんたんとその場を片付けたり、「一緒に元に戻すのを手伝ってほしい」と頼んだり、などにより、叱られて注意を引くという効果を打消しつつ、むしろ良いことをすることへ注意を向けていくことがいいですね。
反抗自体は悪いことではありません。その子の発達場必要な時期になれば始まり,時期がくれば終わります。
その中で,イライラするからつい反抗するというのではなく,自分の居場所を優位に保つために反抗するということもあります。
権力争いをしている子どもにとっては,相手をステージにのせたこと自体が成功体験になります。
だから,「片づけなさい」「うるせーなー」などという反抗に「なんだその態度は!」と受けて立つと、同じステージに乗ったことになります。この場合,受けて立たずにすぐに降りて勝負自体をしないという対応も必要です。
「片づけなさい!」「うるせーなー!」「しかたないな。虫の居所が悪いんだろうな。私が片づけよう」と,たんたんとすすめるのです。
しかし,口答えをされると,イラッときてしまい,まともに受けて立ってしまいがちです。そういうときもあるでしょう。
「そもそも,口答えに対しては厳然と叱らなければならないんじゃないのか,自分からおりるなんてだめだ。大人の責任放棄だ。」
そのように思うこともあると思います。しかし,降りるというのは反抗から逃げるということではありません。決してちやほやするのではなく,それは反抗としてしっかり受け止め,壁になりながらも,あえて同じステージ上での争いから降りるということです。大人の側の成長のチャンスでもあります。
本当に壁にならなければならないことは,安全上,社会規範上にふれる反抗です。
こだわりが強く、そのことをしなければ収まりがつかないという子どもがいます。
それが発達上の何らかの障害によると思われる場合は,強制的にやめさせるとパニックを起こすことがあります。
適切な対応が必要なので,専門機関に相談することが大事です。
つまり,まず「うちの子は発達障害の傾向があり、専門機関と相談した上で適切な対応をしなければならないのでは」、と受け入れることが大事になってきます。これを受け入れられないと,子どもが困り,そのうち親が困るということにつながっていきます。
よくないことをしている場合,それが友達などの他者からの強制によりやらされている場合があります。家のお金を持ち出すこともそうでしょうし,友達をいじめる片棒をかつがされるなどもあるでしょう。
ここで難しいのは,一方的に他者からの強制だけしているわけではない場合が多いこと,「あの子が悪いからうちの子がこうなった」と責任転嫁に結び付く可能性があることなどです。原因や対処が複雑で,ひとつひとつ述べていくと膨大になりますので,ここではこれ以上は述べません。
「そういうこともある」ということだけ知っていれば,ほかで述べたことを考慮しながら適切な対応が見えてくると思います。
以上,子どもの都合ということについていくつか挙げてみました。
ここにあげたものは複合的なことも多く、こうしたらこうなるというようなことは簡単にはいきません。とてもレシピと呼べるものではありませんが、すくなくとも子どもの都合ということを一旦考えてみることで,このように切り分けてみると、適切な対応は何かということを考えてみることができると思います。
なによりも普段から安心して話ができる関係をつくっておくことが大事だと思います。
人はいつかは良い人になるのです。あせらず、じっくりかまえていきましょう。
今回の記事の執筆にあたり,次の本を参考しました。
こんにちは。みや(@cottonweed1023)です。
前回は、わたしの実体験を元に人見知りがTwitterで知り合いを増やす方法についてお話ししました。
参考:人見知りの処世術〜ツイッターで知り合いを増やす4ステップ〜
この方法によってTwtitterで知り合いを少しずつ増やしたわたしは、やがて頻繁にオフ会を主催するようになります。オフ会を主催するなんて、人見知りにはハードルが高いと思うでしょうか?
でも実は、人見知りにとってはオフ会にただ参加するよりむしろ主催することに多くのメリットがあるのです。そこで、人見知りの処世術第2回目となる今回は人見知りがオフ会を主催する5つのメリットについてお話ししたいと思います。
わたしが「オフ会やります!」と告知したら、どんな人が参加するでしょうか。基本的には、わたしと仲の良い人が参加してくれますよね。その人の友達も一緒に参加する、あるいは全く知らない人が「面白そう」と参加するケースも考えられますが、わたしは有名人でもないのでそれは少数です。
つまり、自分でオフ会を主催すれば参加者の多くがネットですでに知り合っている人となるわけです。これは、人見知りにとって大きなメリットだと思いませんか?
だって、自分でオフ会に参加した場合は主催者以外全員知らない人になる可能性だってあるわけですから。
一つ目のメリットとして「参加者はほとんど自分の知り合い」であるという点を挙げましたが、そこでも書いた通り少数でも自分の全く知らない人が参加する可能性はあるわけです。
しかーし!オフ会に参加したい人は主催者に参加する意思を伝える必要があります。つまり、その時点で知らない人が来るということがわかるのです。そうなればしめたもの。オフ会当日までにTwitterで知り合いになってしまえば、さらに知らない人を減らすことができます。
オフ会を開催するという告知自体をTwitterで行ってしまえば、参加者がTwitterをやっていないという心配もほぼありません。
どんなオフ会でも、大抵は自己紹介タイムがあるでしょう。しかし、人数が多い場合などは1回ではとても覚えきれません。相手が小声でしゃべっていたり変わったハンドルネームだったりすると、そもそも名前を聞き取れないこともありますよね。
しかし、主催者には「参加者の確認」という大義名分があるため、自己紹介の前にひとりひとりの名前をしっかりと確認することができるわけです。たとえその一回で覚えきれなくても、自己紹介の時間に再度確認をすることができるため顔と名前がかなり覚えやすくなります。
顔と名前が一致すれば、Twitterではある程度話しているわけですからそれに関連した話をするなどして会話を乗り切ることができるでしょう。
一参加者として参加している場合に比べ、主催者として参加している場合は他の参加者から話しかけてもらえる可能性がぐっと高まります。
オフ会で他の参加者を待っている間に「今日は他に誰が来るの?」と聞かれたり、オフ会中やオフ会後に「今日は主催してくれてありがとう」とお礼を言われたり。
人見知りは自分から会話を始めることが苦手なので、こうやって相手から話しかけてもらえるのはかなりありがたいことなのです。
二つ目のメリットとして挙げた「参加者に堂々と名前が聞ける」という点でも書きましたが、参加者とまず最初に会った時に名前の確認をするために話しかけることができます。また、「今日は参加してくださってありがとうございます」といったようにお礼の言葉から会話を始めることも可能です。
このような「話しかける理由」ができるとともに、「主催者」という役割自体もまた他の参加者に話しかけるハードルをぐっと下げてくれるのです。
人見知りであるわたしがオフ会を主催して感じた5つのメリットをまとめると以下の通りです。
1.参加者はほとんど自分の知り合い
2.誰が来るか事前に把握できる
3.参加者に堂々と名前が聞ける
4.他の参加者から話しかけてもらえる
5.他の参加者に話しかけるハードルが下がる
いかがだったでしょうか?
オフ会を主催すると、何かと手間がかかります。しかし、人見知りのわたしにとっては一参加者として参加して他の参加者に自分から話しかけられず悶々とするよりは、いっそ主催者という役割を自分に与えてしまった方がずっと楽だということに気付きました。
いきなり一人で主催するのはハードルが高いという方は、誰か仲の良い人をもう一人主催に引き込んでしまうのも良いでしょう。
勇気を出して小さな一歩を踏み出すことで、あなたの世界は大きく変わるかもしれませんよ。
聞き手の集中力は、はかない。
ぼくは、そういう考えのもと、授業の内容をどう魅力あるものにするか、日々頭を悩ませています。
できるだけ集中力を持続させたいし、持続させることができれば、伝えたいことが伝わりやすくなるのではないか。
そんなふうに考えているからです。
話が必要以上に長くなってしまうと、聞き手の集中力は著しく低下していきます。
要領の得ない話を聞かされているときもおなじように、集中力は無くなっていってしまうでしょう。
できるだけ手短に、かつ、わかりやすく話すことが求められる。
となると、多くのことを詰め込むことはできません。多くを詰め込みすぎると、どうしても話すのが長くなっちゃうから。
多くのことを伝えたいものですが、こちらの願いとは裏腹に、そんなに多くは伝わらないものです。
5つの伝えたいことがあったとしても、結果的にどれも効果的に聞き手に届かなかった、なんてことになりかねません。
それを防ぐためにも、伝えることは「ただひとつ」にしぼったほうがいい。
そう。今回は、伝える内容はぎゅーっと凝縮して、たったひとつにしぼってみよう!っていう提案です。
講義やプレゼンなどの目的は何か。
それは、聞き手の中に変化を起こすことでしょう。
自分が伝える内容を理解してもらう。
自分の主張に納得してもらい、賛同を得る。
新たなスキルを身につけてもらう。
今挙げたどれもが、聞き手の中に変化を起こすことです。
変化を起こすというのは、想像以上に難しいもの。それを可能にするために、伝える内容はひとつにしぼり、「これを持って帰ってもらう」というのをひとつ定め、そこに力を集中していく。
それぐらいしなければ、伝えたいものは十分に伝わらず、聞き手の中に変化を起こすこともできません。
まずは、伝えたいことをひとつにしぼり、そこに力を注ぐこと。その、たったひとつの伝えたいことが伝わるように全体の構成を考え、提示すべきものを明らかにし、流れを練り、本番に臨む。
はじめの一歩として、「伝えることをひとつにしぼる」ってのは、重要なんじゃないかと感じます。
魅力的に話したい。聞くものを惹きつけたい。
人前に立ち、何かを伝える以上、そういう意識は大抵のひとが持つものと思います。
魅力的な語り口や、惹きつける話を展開しようと思うと、話し手には多少の余裕がなければただでさえ難しいものが、さらに難しくなってしまうでしょう。
ひとつにしぼることで、もちろん伝わりやすくなりますし、話し手の余裕にもつながります。
限られた時間内で、あれもこれも話さないと!っていう焦りから解放されるためです。
ちょっとした余裕が、まわりを見えるようにし、適切なタイミングで間をとったりすることができるようになるかもしれません。
ひとつにしぼっているがゆえに、「今日はこれだけを伝えればいいんだ」という心持ちでのぞむことができます。
ちょっとした余裕を生むってことにも、ひとつにしぼるのは良い方に働いてくれます。
「伝えることをひとつにしぼる」ってのは、あらゆる部分で有効な手立てだと思っています。
一回一回「ひとつのことを」と意識することが、伝えたいことを伝わりやすくし、無駄を省き、わかりやすさにつながる。
指示をひとつにしぼり、何をすれば良いのかを、これ以上ないほどに明確に提示する。
新しい試みをひとつ選び、内容に組み込むことで、その試みに意識を集中させることができ、実践しやすくなる。
そういうことの積み重ねが、話し手のスキルを徐々に上げていってくれるのだと思います。
いろいろ伝えたいことがある中で、ひとつにしぼる。
伝えることをしぼるためには、聞き手に「何を持って帰って欲しいか?」に目を向け、考えることになります。
つまりは、聞き手のことを考えるということ。
何かを伝える時に、相手のことを十分に考えないままで、伝えたい何かはうまく伝わってはくれないでしょう。
聞き手に何を持って帰ってほしいのか。
ひとつにしぼる際にぜひとも考えてほしい問いかけです。
では、お読みいただきありがとうございました。

こんにちは、ベック(@beck1240)です。
この4月から再スタートを切りました、アシタノレシピ。新メンバーの連載も続々スタートしはじめて、かなり良い感じに盛り上がってきております。
それでは、久しぶりに月刊アシタノ、行ってみましょう!
2016年4月の1ヶ月間でアクセス数の多かった記事をランキング形式でお届け!
3月度・4月度の更新記事は赤字で記載しています。
アシタノレシピはアクセス数の75%が検索エンジンなので、どうしても過去記事が強くなってしまう傾向にあります。
今回は上位に過去記事が集中してしまいましたが、来月はもうすこし上位に新メンバーの連載記事が食い込んでくるのではないかと思います。
今回、新メンバーの記事のトップ3は
でしたが、これらの記事はTwitterやFacebookなどでの反響も大きかったのですが、特にぱすもさんのメモ活用術記事は、2日間だけのアクセス計上でこの順位なので、5月の第一週ぐらいまで含めるともっと順位が高かったかも知れません。
いずれにせよ、新メンバーの連載では、今までに無かったお金や子育てなど、かなりテーマの幅が拡がっていますので、これからどういう風に展開し、盛り上がっていくかとても楽しみです。
月刊アシタノでランキング以外に何を乗せようかなーと考え中ですが、丁度アシタノ新メンバーの表明記事が上がっていたので、今回はこれを取りあげてみたいと思います。
来月以降は、アシタノ新メンバー各位のブログを読んで、気になった記事を紹介してみようかと思います。
アシタノレシピの仲間に加わり、普通の個人がブログのある毎日を送り続けることの意味と可能性を考える。
まずは彩郎さんの「単純作業に心を込めて」
アシタノレシピの連載として一連の文章を書き続けていけば、「普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける」ということを、ひとつのまとまった物語として考えることができるかもしれない
とあるとおり、彩郎さんが未だ答えに到達できていないという「普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける」ことの答えを、アシタノレシピへの執筆の中で模索して行かれるというのは、なんとも光栄なことだなと。
是非、彩郎さんの思考の過程を、共に楽しませて頂ければと思います。
ブログメディア『アシタノレシピ』への寄稿が始まりました!【日刊LR】Vol.29 | LifeReformer
次に、ぱすもさんの「Lifereformer」から。
しかし、あまりに中身のない記事を投稿していれば、それは即クビになるだろうと予測している。
つまり、自分はそのぐらいの緊張感をもって寄稿していくことになる。
–ブログメディア『アシタノレシピ』への寄稿が始まりました!【日刊LR】Vol.29 | LifeReformerより引用
アシタノレシピにクビの制度は御座いません(笑)
が、そう言われていたパスモさんが、4月度の新メンバーの中でアクセスランキング一位だったというのも、なかなか感慨深いですね。これからも、気合いの入った面白い記事期待しております♪
こんにちは!
ブログ「今、夢に生きる」のはぎたかし(@takashi_h7)です。
私の連載では、金融業界で仕事をしている30代一児のパパとして、「等身大のお金の話」をテーマにお送りしています。
前回のタイトルは「お金の不安を感じたら、まず『持っているもの』を確認しよう」。
お金の話は不安が先行しがちなので、まず「足りない」よりも先に「すでに持っているもの」を確認してみること。
具体的には、預貯金をはじめたとした金融資産の一覧を作ってみること、年金や健康保険に代表される社会保障について知識を持っておくことをおすすめしました。
今回は、その中でも「資産リスト作り」について、もう少し掘り下げてみたいと思います。
通常、お金の話をするとき、真っ先に出てくるのは家計簿でしょう。
雑誌の節約特集なんかでも「家計診断」と題して、支出の見直し例がよく載っています。
一方、預貯金をはじめとした資産リストを作ってみようって話はあまり見かけません。
けれど、私は家計簿よりも資産リストのほうがずっと大事だと思っています。
その理由をまとめましょう。
本題に入る前に、フローとストックという概念をお話しておく必要があります。
経済学では、フローは一定期間の増減、ストックはある一時点で切り取ったときの「持っている量」を指します。
簡単に言ってしまえば、ストックが「その時点で持っている財産」であり、フローが「日々のお金の出入り」です。
例えば、私が5/4にお財布を見たら中身は3,000円。
となると5/4時点で現金のストック3,000円。
そこから買い物をしたとします。
そうすると1,300円お金が減る。
-1,300円、これがフロー。
次の日、お財布の中身(5/5時点でのストック)は1,700円となります。
もうお気づきですよね。
家計簿というのは、この「フロー」の部分を記録したものなんです。
そして、フロー(日々のお金の出入り)が積み重なって、結果的にストック(預貯金をはじめとした資産)が増えたり減ったりします。
ここで大事なのは、「フローの結果が必ずストックに現れる」ということ。
家計簿ってきっちり付けようと思ったら結構大変です(実際、私も細かくつけていません)
ただ、毎日の支出を細かく追いかけなくても、預貯金(ストック)が増えているのか減っているのかさえしっかり把握していれば、「このままで大丈夫」なのか「改善が必要」なのか分かります。
家計簿を細かく付けなくても、ストックが順調に積み上がっているのなら何も問題ありません。当面の心配はしなくていいので、将来の大きな支出に備えて少しずつ準備をしていけばいいでしょう。
逆に、「家計簿をつけているのに、預貯金は全然増えていない」となれば、報われない感じがしますよね。
「一生懸命勉強しているのに点数が伸びない」みたいな。
勉強なら、まず成績簿を見て、全科目のバランスを見ながら対策を考えます。
お金も一緒。まず成績簿を見ればいいんです。
ストック(資産リスト)こそが成績簿なので、それを数ヶ月見れば、家計簿を見直す必要があるか、どれくらいの見直しが必要か自然と分かってきます。
何より、この方法のいいところはほとんど挫折しないこと。資産リストは月に一度チェックすれば十分。家計簿を毎日作るのに比べたら断然ラクです。
それに、毎日支出とにらめっこするより、ストレスも少ない。
さらには、家計簿だと目の前の金額ばかりが気になって、「木を見て森を見ず」になってしまうことがあるんですが、それも防げます。
というわけで、まずは資産リストを作ってみてください。
作り方は、私がまとめた記事があるのでご参考にどうぞ。
【参考】
★【実例&テンプレートつき】金融資産を一覧にしてみよう!
私の場合には、毎月の月末の数字を、翌月の頭にExcelに記録しています。例えば、この記事を書いている5月頭のタイミングで、4月の月末の数字を記録したところです。
記録しているのは、次の3つ。
3つを記録するのが面倒であれば、まずは銀行の残高だけでも十分です。私も最初は銀行の残高だけから始めました。
【参考】
★ 私を「お金が貯まる体質」に変えた月に一度だけの習慣
この記録を3ヶ月ほど続けてみてください。
記録が揃ったら、そのトータルが増えているのか減っているのか、どれくらい増減があるのか見てみましょう。
その結果、必要なら家計の見直しをスタートすればいいわけです。
私はかなり面倒くさがりなので、最初、さっぱり家計簿を続けられなかったんです(今でも大雑把ですが)
そんな私を変えてくれたのは、この月に一度だけの資産チェックでした。
毎日の家計簿は面倒くさすぎて全然ダメだったんですが、月に一度のチェックなら続けることができました。
何ヶ月かやっているうちに、資産が増えているエクセルのシートを見るのが楽しくなってきて、もっと増やせないかなーと思うようになって。
そうしたら、ゲーム感覚でフローの見直し(家計の見直し)ができるようになりました。
月一で資産チェックを始めるだけで、お金に対するアンテナがずっと敏感になります。
お金といい関係を作るスタート点として、すごくおすすめの習慣です。
ちょっと余談になりますが、会社でも仕組みは同じなんです。
会社の決算書類には、必ず損益計算書(P/L)と貸借対照表(B/S)がありますよね。
初めてこの表を見たときには、意味不明すぎて「何が違うの…?」状態でしたが、何のことはない。
フローを分かるようにしているのが損益計算書、ストックを分かるようにしているのが貸借対照表です。
今回、お話した家計の話で置き換えれば、以下のようになります。
なので家計簿だけを見るのは、損益計算書だけを作って貸借対照表がない会社のようなもの。
やっぱりお金の流れを把握しようと思ったら、フローとストックの両方の視点が必要なんですよね。
というわけで、今回の「資産リスト作りのススメ」は以上です。
また二週間後にお会いしましょう!
こんにちは。「単純作業に心を込めて」の彩郎です。連載「普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ」の第3回をお届けします。
前回と前々回は、2012年3月当時に私が抱いていた閉塞感のことを書きました。
この連載は、この閉塞感を出発点としています。とはいえ、この閉塞感は、平和な閉塞感です。具体的で明確な問題が存在するわけでもなく、放置しておくと苦しい立場に追い込まれるわけでも、毎日の暮らしが灰色に染まってしまうわけでもありません。であれば、何か問題なのでしょうか? わざわざ何らかの対策をとって、この状況をどうにかする必要があるのでしょうか?
実は、私自身も、よくわかりませんでした。
今回は、この平和な閉塞感を、解消すべき課題として捉えるようになり、解消するための道筋を考えた経緯について、お話します。
2012年2月当時の私の毎日は、平和な閉塞感に包まれていました。ふと気づけば、そこに閉塞感があります。
でも、これは全然深刻な話ではありません。閉塞感といっても、「何かが足りない」という抽象的で漠然とした感覚に過ぎません。家事や仕事など、毎日の生活の中で次々とやってくる具体的な物事に集中していれば、いちいち気にする暇もありません。閉塞感からの声は、とても小さいものでした。
そのうえ、その閉塞感からの声を一時的に黙らせるのは、とても簡単でした。
たとえば、
のように、持続可能で平和な毎日の価値を言い聞かせれば、閉塞感はすぐにおとなしくなりました。
あるいは、
というように、お説教めいたことをいえば、すぐにしゅんとなって引っ込みました。
そんなわけで、2012年の私は、閉塞感の存在を感じつつも、閉塞感からの小さな声に悩まされるでもなく、穏やかで平和な毎日を送っていました。当時の私にとって、閉塞感は、必ずしも解消すべき課題ではなかったのです。
ところが、2012年1月〜2月ころ、そんな閉塞感に対する私の態度を変える、2つのきっかけがありました。
ひとつめは、『ソース』という本を読んだことです。
『ソース』は、「すべてのワクワクを同時に実行する生き方」をテーマにしています。
すべてのワクワクを同時に実行する生き方。『ソース〜あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。』
こんな生き方が果たして実現可能なのかについては、賛否両論あるかと思うのですが、私がハッとしたのは、「ワクワクすること」という基準自体が、自分の毎日の生活から姿を消していた、という事実でした。「最近、どんなことにワクワクしただろうか?」と自分に問いかけても、何も思い浮かびません。「ワクワクするかどうか?」という基準で物事を判断したり評価したりすることが、ほとんどなくなっていたことに気づきました。
●
ふたつめのきっかけは、このアシタノレシピの『みんなのイチ押しブログ選手権』でした。
あなたの「推しブログ」を教えて下さいー『みんなのイチ推しブログ選手権』開催します! #oshi_blog
この企画に参加していた多くのブログ記事を読んで、「楽しそう」「自分もやってみたい」というあこがれのような明るい気持ちを抱いたんだ、ということを第1回で書いたのですが、ちょっと思い切って正直に書くと、ここには、「うらやましい」というちょっとネガティブな感情もありました。「あの人たちはとても楽しそうなのに、自分はそうじゃない。」という感じです。そんなネガティブな感情を抱く自分に気づき、私は少し焦りました。
●
あまりよい傾向ではありません。楽しくないし、元気もありません。解消できるものなら、解消したほうがよいような気がします。
それと同時に、この2つのことは、毎日の生活の中にある平和な閉塞感とつながっているのではないかと感じました。
そこで私は、閉塞感の小さな声に耳を澄ませてみることにしたのでした。
閉塞感の小さな声に耳を澄ませるため、いくつかのことをしました。これまでに自分がワクワクしたことを書き出すとか、これからの人生でやりたいことをリストにするとか、どんなときに閉塞感を感じるのかを書き出すとか、自分が「うらやましい」という感情を抱く対象やシチュエーションをリストアップするとか、そういうことです。
そんななかで、2つのことに気づきました。
ひとつは、新しいことの試行錯誤が、ずいぶんと減っていたことです。
2012年というと、仕事を始めてからしばらくが経ち、一通りのことを経験した頃でした。当初は、日々の仕事を進めるために、いろいろなことを試行錯誤せざるを得なかったのですが、徐々に、うまくいく可能性の高い方法とそうでない方法とがわかってきたこともあり、うまくいく可能性の高い方法だけを愚直にくり返す、というようなスタイルになっていきました。その分、失敗は少なくなったのですが、他方で、試行錯誤が減っていました。
もうひとつは、自分のすべてを発揮して毎日を送っているわけではない、ということです。自分の中に、毎日の中で発揮されることのない部分が、たくさん残されて、その発揮されていない部分の中に、自分としては、かなり大切にしている部分があることに気づきました。
たとえば、私の仕事はたくさんの文章を読んだり書いたりすることを求められていて、私は文章を読んだり書いたりするのが好きで、文章を読んだり書いたりすることに関する技能や考え方などを育んできたつもりです。でも、仕事において求められる文章の読み書き能力は、客観的な論理を的確に把握し、情報を正確に伝達するなど、客観的な能力なのですが、私が好きで育んできた能力は、必ずしも客観的なものだけではありません。普通に仕事をしているだけでは、私の中にある文章の読み書きに関する諸々のうち、発揮しなければいけないのはごく一部分だけで、残りの部分は手付かずで残されたままです。
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平和な閉塞感の原因は、どうやらこの辺りにあるようでした。そして、この2つの原因は、『ソース』とアシタノレシピで気づいたことと、なんとなく対応しています。
こうして、私は、毎日の生活の平和な閉塞感を、解消すべき課題として捉えるようになりました。
閉塞感を解消するための道筋は、自然と浮かんできました。
ひとつめは、試行錯誤を増やすこと。
目指す理想は、〈自分の生を、人間の生のひとつのモデル・ケースとしてみなす〉という『実存からの冒険』のイメージです。
この実験=冒険としての生、というイメージのなかには、〈自分の生を、人間の生のひとつのモデル・ケースとしてみなす〉ということが含まれている。 ニーチェじしん、自分の生をそういうひとつのモデルとみなしていた。充実して生きるために、さまざまな実験を身をもってやってみる。そういう努力が互いを 刺激するし、励まされる。
『実存からの冒険』p.232
『実存からの冒険』から受け取った〈実験=冒険としての生〉というイメージが、ブログによって現実になっていた。
でも、持続可能な毎日も大切で、仕事や家族に対する責任もあります。自分の生全体を実験にするまでは思いきれなかったため、毎日の生活の中に、試行錯誤を手軽に行える実験場のような場所を用意したいと考えました。その場所で失敗しても他の場所に影響が波及しない、基本となる日常からは隔離された実験場のような場所です。
ふたつめは、自分の中にある、自分として大切に思っている部分を、少しずつ発揮していくこと。
とはいえ、仕事や家庭など、他者との関係で一定の役割を果たすべき場所では、自分が発揮したい部分ではなく、他者から求められる部分を、まずは発揮すべきです。だから、自分が発揮したい部分を好きなだけ発揮できる場所を作っていきたいと思いました。イメージとしては、店長からのおすすめの一品を出してくれる居酒屋です。
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閉塞感を解消するために描いた道筋はこの2つですが、この2つの実現を託されて生まれた場所が、ブログ「単純作業に心を込めて」なのです。
今回の記事では、2012年2月当時の自分が抱いていた閉塞感をふり返りました。このために、材料として活用したものは、Evernoteに残っていた当時の思考ログです。
2011年ころから、私は、Evernoteの中に、毎日の生活の中で感じたことや考えたことの思考ログを残していました。北真也さんのEvernote本などの影響です。
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今回の記事を書くため、ブログを始める少し前に、自分がどんなことを考えていたかをふり返りたいと思い、Evernoteを掘り返してみたら、その時期の自分の思考や感情が、克明に記録されていました。
たとえば、『ソース』を読み始めたのは、2012年1月26日です。その日、私は、「わくわくすることをする」というタイトルでEvernoteにひとつのノートを作り、「『ソース』は久々のヒットかもしれない。」というようなことを書いています。
またたとえば、ブログを試行錯誤のための実験場と捉える、という発想に関連して、2012年1月27日にEvernoteに書いた「『実存からの冒険』とブログ」というタイトルのノートに、こんな記載があります。
自分の人生をより充実したものにするために、各自が自分の持ち場で工夫してやってみるしかない。すべての人の人生は、充実した人生のための実験である。お互いが実験する姿が、お互いを励まし合う。
このイメージを具体化する一つの形が、ブログなのではないかと思う。
ブログに自分の工夫を書くことで、一つには、自分の営みを記録することが出来るし、もうひとつには、ひょっとしたら誰かに理解されるかもしれない。自分が求めているのは、そういうことなんだと思う。
さらに、もう少し前の時期には、閉塞感を黙らせるために平和な毎日の価値を自分に言い聞かせるような記載もあります。
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倉下忠憲さんは、『Evernoteとアナログノートによるハイブリッド発想術』において、Evernoteの中に「地層」を育てる、という考え方を紹介しています。
アイデアの「畑」と「地層」:『ハイブリッド発想術』読書メモ(「なぜ、私は、思考するツールとして、Evernoteを使うのか」番外編)
自分の思考ログによる地層が積み重なっている自分のEvernoteは、Google検索ではたどりつけない、独自の意義を持つ情報源です。
閉塞感を抱いていた時期に自分が書いたEvernoteを見返していたら、当時の閉塞感に感慨深いものを感じるのと同時に、こんなEvernoteの意義を再確認しました。
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他方で、今回の記事は、必ずしも、当時考えたことを忠実に再現したわけではありません。Evernoteという地層から掘り出した当時の思考を、一定の枠組みに沿って、再構成したのが、今回の記事です。
この一定の枠組みとは、『[超メモ学入門]マンダラートの技法』で紹介されていた[条件づくり]と[手順組み]というものです。
[条件づくり]と[手順組み]、そして「待つ」こと。(『[超メモ学入門]マンダラートの技法』より)
今回の記事に当てはめると、こうなります。
この枠組みは、今回の閉塞感のような、何らかのもやもやしたところから生じる問題を解消するために、比較的うまく機能するのではないかと思います。

皆さん、こんにちは!ベック(@beck1240)です。
GWは如何お過ごしでしょうか?
今年4月に再開しましたアシタノレシピ、新メンバーの連載も続々と本格始動しはじめて、アシタノ読者の皆様からも沢山の反応を頂いております。まだまだ始まったばかりですが、ここからもっと盛り上げていけるように頑張ります!
それでは4/18〜5/1の2週間分の週刊アシタノ、行ってみましょう!

こんにちは、ベック(beck1240)です。
新しい年度がはじまって1ヶ月ほど経ちました。皆さんも仕事に、プライベートに、様々な変化があったことと思います。
私も社会人になって10年を越えましたが、新入社員のころだけでなく、新しい業務内容、新しいプロジェクト、新しい職場、そして新しい言語での仕事など・・大小様々な変化を経験してきました。
こういった変化に対して、当初は「不安」を感じるものですが、1ヶ月も経ってくると段々と「課題」が浮き彫りになり、そちらへと意識が向かいだす頃かと思います。
「よし、GW中に本を沢山読むぞ!」
なんてことは、私も数え切れないぐらい心に誓ってきたわけですが、今にして思えばこの頃に「課題」に対するヒントを探すために「読書」という方法を選択してきたのだろうと思います。
今回は「課題を解決するための本との出会い方」ということで、自分が必要としている本との出会い方をいくつか紹介したいと思います。

文化庁の『平成 25 年度「国語に関する世論調査」』によると、平成25年度の調査では、月に1冊以上の本を読む人は、全人口の55%程度の推計となっています。

(平成 25 年度「国語に関する世論調査」より抜粋)
これを多いとみるか、少ないとみるかは色々な解釈がありますが、「もっと本を読みたい」と思っている人が全体の66%以上を占めることを考えると、読書に対してポジティブに捉えている人が多いのだろうなと思います。
更に読書目的が「新しい知識や情報の獲得」が6割越え、感性や語彙、創造力の獲得がそれぞれ3割越えで、その後に読書そのものを楽しむという回答が続きます。

(平成 25 年度「国語に関する世論調査」より抜粋)
これでもって、読書の目的を「情報収集・能力開発」と「娯楽」で括ってしまうのは少し乱暴な気がしますが、大凡そういう傾向があることは見て取れると思います。
ちょっと立ち止まって考えてみたいのですが、何故僕らは「新しい知識」や「新しい情報」をほしがるのでしょうか?何故「語彙力」や「想像力」の獲得を望むのでしょうか?
知的好奇心という側面は否定しきれませんが、多くの場合は「必要と感じているから」、則ち「課題意識を持っているから」です。
何を当たり前の事を、と思われるかも知れませんが、存外にこのことが見落とされがちです。いわゆる意識高い系(と言う言葉は僕は嫌いですが)な感じの世界では、本を読んでいる自分に満足したり、冊数をこなすことが目的化されてしまったりするわけです。
まぁ、それすらも「読書を楽しんでいる」という点に於いては、決して否定されるべきことではないと思います。ただ、目的なき読書の結果、「本なんて幾ら読んでも無駄」なんて結論に至るのは、あまりにも悲しいですよね。
年間の新刊発売点数が8万を越える現代では「自分が本当に必要としている本」と出会うのは簡単なことではありません。
難解な本もあれば、読みやすい本もあります。書かれている内容が高度で先進的なものもあれば、どこかで聞いたことがある焼き直し感満載の本もあります。
あなたが抱えている「課題」、そのジャンルに関する「前提知識」、スキルとしての「本を読む力」次第で選ぶべき本は変わりますので、一概に他の人が薦めている本や売れ筋の本があなたにフィットするとは限りません。
「この本はxxの焼き直しなので読む価値が無い」という書評、レビューの類はよく目にします。しかし、あなたとレビューワーの置かれている状況が余程近似していないかぎり、「読む価値が無い」のはそのレビューワーにとってであって、あなたにとっては価値があるかも知れない。
同様に「中身の薄っぺらい」や「底の浅い焼き直し本」みたいな評価に関しても、そもそも焼き直し元の本を読んだことがあるレビューワーにとって「焼き直し本」なだけですし、焼き直し元があなたにとって難しすぎる場合、内容が平易に書かれている焼き直し本は優れた入門書となる場合もあります。
あなたが手に取るべき本は、誰かが「良い本」と評価を下した本ではなく、あなたがその本を読んで理解して、実際に課題を解決するアクションを起こせる本なのです。

コレは別に本を探すときに限らない話ですが、入り口を見つける最良の手段の一つは「検索を掛けてみる」ことです。
実際の所、大概の悩みは既に誰か他の人が同じような事で悩んでいたりするので、そういった人達がどういうアプローチを取ったかは大いに参考にすべきです。
また、本の方から「こんな課題をかいけつできますぜ」といったメッセージを発している場合もあります。ランディングページが用意されている本もあれば、Amazonの書籍情報が引っかかる場合もあるでしょう。
注意が必要なのは、所謂書評系のブログの場合は出版社や著者から献本を受けて記事を書いている場合もあれば、本を売るために煽ったり盛ったりすることもあったりします。(僕もちょくちょく御献本頂くので、そういう本は『献本頂いた』旨記載して書評にします)
また、書評なので客観的な本としての出来を評価する傾向にあったり、内容を分かりやすく紹介する、或いはレビューワーの知識と経験と結びつけて深い洞察を述べたりする場合が多いものです。課題意識がない状態で本を読んでも「引っかからない」のは当然なので、書評というのは一種の読み物であると考えましょう。
例えば旅行に行くとき、全く下調べを行わないことの方が珍しいと思います。真っ先に買うのは地図付のガイドブックといった所でしょうか。
海外のはじめて行く場所あれば、地図で行き先の位置関係を把握し、交通手段、現地でのチップの慣習、電源コネクタの形状、言葉、買い物の仕方、いざという時の連絡手段等々、入念に調べると思います。
どんな場合でも、初めてというのはそれなりに「不安」もあるわけで、準備をするにしても「何から手を着けて良いか分からない」「何が分からないか分からない」という状況にも陥りがちです。
課題解決の為の読書も、実の所「何が問題か分からない」という状況からスタートする場合は決して珍しくありません。例えば、「もっと戦略的に物事を運べるようになりたい」みたいなばくっとした悩みからスタートする場合などです。
課題がぼやっとしているときには、ガイド本や概論系の本で全体像を把握してから、課題を掘り下げていくというアプローチが有効です。
いくつか例を挙げると、経営戦略論であれば「経営戦略全史」みたいな本で全体を押さえてから、紹介されている”原著”にあたるのに適しています。
古典的名著で基礎を固めたい場合なんかは「座右の古典」が書評を読むだけで各書のポイントまでつかめてしまいます。
色んなジャンルを幅広く知りたい場合は「仕事・人生が変わるすごい!本370冊」あたりは読みやすくて良いかもしれません。
物事の見方やつなぎ合わせ方を知るという意味で「ぼくらの頭脳の鍛え方」も非常に面白いのですが、課題解決というよりは教養・素養を着けるための本が紹介されています。
Amazonの書籍紹介を見て本の中身をうかがい知るのは中々難しいのが現実です。
一部の書籍は中身をチラ見できるのですが、本屋で並んでる本をいくつか手にとってパラパラ流し読みをするのと比べると、どうしても内容を把握する効率が悪くなってしまいます。
百聞は一見に如かず、と言う言葉もあるとおりで、気になる本の購入を迷うような場合や複数の内から一冊を選ぼうとしている場合など、Amazonの前でうんうん唸っているよりも、本屋に行って実際に中身を見て見る方が良いでしょう。
本屋に行って、類書を含めてパラパラ眺めながら、取り敢えず一冊を打診買いしてみる。掘り下げたいなら、打診買いした一冊で紹介されている参考書籍を買ってみたり、或いはもう少し色んな視点から理解したい場合は類書を買ってみると良いでしょう。
これは割とリッチな方法ではありますが、類書の中から一冊を選ぶのでは無く、得て類書を3,4冊まとめて読んでしまうと言う方法も有効です。
色んな人の視点や解釈を知ることができるので、単一の著者の偏った見方に引っ張られることを防げたり、情報の不足を補い合ったり、複数の本で何度も登場する事柄を「重要」と認識できたりもします。
ここまでは一般的な知識やスキル・専門知識の両方で使える方法だったのですが、こと専門書に関しては、専門家に聞くのが最も効率的です。
会社の先輩や上司で「この人の専門知識は凄いな」と思う人がいれば、勇気を出して「お奨めの本ありませんか?」と聞いてみましょう。
現場たたき上げの経験偏重な人も珍しくはないのですが、多くの場合高度な専門知識を持っている人は、知識を得るために本や、或いはそれ以外の情報ソース、教材を持っています。そして、自ら「学びたい」という意欲を見せられて、イヤな顔をする人はまずいません。
今回は「課題を解決するための本との出会い方」ということで、人が本を読む理由の考察と、本との出会い方のテクニックをいくつか紹介しました。
折角なのでGW中に、続編として「課題を解決するための本の読み方・付き合い方」を書いてみたいと思います。それではまた近日中に!