言いたいことは、終わらない。(普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ)

こんにちは。「単純作業に心を込めて」彩郎です。連載「普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ」を続けます。

「単純作業に心を込めて」を始めようとしたとき、私が悩んでいたのは、

  • 果たして自分の中に、わざわざブログを立ち上げてまで書くに値する「言いたいこと」があるのだろうか?
  • もしも「言いたいこと」が見つかっても、いくつかの記事で言い尽くしてしまって、言いたいことが終わってしまうのではないか?

という疑問でした。

この疑問はなかなか大きな問題で、ブログを始める前にいくら考えても、よくわかりませんでした。でも、答えが出ないままとりあえず実際にブログを始めてみたところ、「言いたいこと」がなくて困るという問題は起きませんでした。ブログを続けているうちに、新たな「言いたいこと」を次々と発見できたからです。ブログを始める前に悩んでいた疑問は、あとから考えると、杞憂だったようです。

今回は、このあたりのことをふり返ってみます。

【わざわざブログを立ち上げて書くに値する「言いたいこと」が、あなたの中にありますか?】

わざわざブログを立ち上げて書くに値する「言いたいこと」が、あなたの中にありますか?

ブログを始めることを検討してる方に対して、こんな問いを投げかけたとして、臆面なく「あります。」と断言できる方は、ひょっとすると少数派なのかもしれません。

少なくとも私自身は、ブログを始めようとしていた時点では、全然断言できませんでした。

・・・ブログはやってみたい。面白そうだし、ワクワクする。

『「超」整理法』のポケット一つ原則&時間順原則、『三色ボールペンで読む日本語』の客観・主観2系統の三色ボールペン方式、持続可能な毎日を支えるToodledo運用例とか、とりあえず、書けそうなテーマもある。

でも、これらが、私がブログ記事として書くに値する「言いたいこと」なのかは、よくわからない。わざわざ全世界に公開するブログ記事という形で書きたいほどの「言いたいこと」なのかわからないし、私がそれを書く理由もよくわからない。

それから、書けそうなテーマはそれほどたくさんあるわけではないから、10個か20個かそれくらい書いたら、「言いたいこと」を言い尽くしてしまって、ネタ切れ状態になるのではないか。10個か20個だと1年も続かない気がするけれど、せっかくブログを立ち上げるなら、2,3年は続けたいんだけどなあ。・・・

こんなことを考えていました。

今、ふり返ると、当時の私は、ブログをするということに対して、ハードルを高く設定しすぎているような気がします。前回も引用した倉下忠憲さんのアドバイスを聞かせてやりたいくらいです。

ブログをはじめたばかりの人が、「提供するの価値」を高く設定してしまうと、間違いなく書けなくなります。

『ドラッガーに学ぶブログ・マネジメント』 location 187

ただ、こんな疑問を持つこと自体は、たぶん、そんなに悪いことでもありません。

ブログをするのは誰にだってできることで、お金もほとんどいりませんが、比較的たくさんの時間がかかります。自分の大切な時間を費やすのですから、せっかくなら、臆面なく「私は、これが言いたいんです。」ということを書きたいものです。

他方で、自分一人の閉じた空間に書くのではなく、ブログ記事として公開するのですから、「私自身は、これが言いたいから、これが言えるだけで十分なんです。」はなく、自分が書いたことに、自分以外の誰かが価値を見出してくれるかもしれない、その可能性を感じながらブログを書けたらいいなと思います。

そして、自分の「言いたいこと」を、自分以外の誰かにも届くかもしれない可能性を感じながら、ブログ記事として書くことができるなら、ブログとのそんな関係を長く続けたいものです。

「果たして自分の中に、わざわざブログを立ち上げてまで書くに値する「言いたいこと」があるのだろうか?」は、ブログに対するこんな理想から生まれている気がするのですが、こんな理想を抱くこと自体は、そんなに悪いことでもありません。だから、大きな疑問ではありますが、きちんと向き合っておく価値のある疑問だともいえます。

【いつまでたっても追いつけず、言いたいことは、終わらない。】

とはいえ、実際の私はといえば、ブログを始める前に、この疑問を解消できたわけではありません。しばらくの間(数日間くらい)、この疑問を一生懸命考えて、でも、考えてもよくわからなかったため、とりあえずブログを始めてみることにしました。

とりあえず始めてみたのは、自分がブログに求めていた「試行錯誤のための実験場」と「店長からのおすすめの一品をお客さんに提供できる場所」という2つのためには、やってみなければ何も始まらないと思ったことがひとつの理由です。

平和な閉塞感は、解消すべき課題なのか?

また、書くに値する「言いたいこと」のネタが、10個くらいはありそうだと感じられたのが、もうひとつの理由です。『終末のフール』の苗場さんのこと、『実存からの冒険』の〈実験=冒険としての生〉というイメージのこと、我が家の子育てを彩るEvernote子ども成長記録ノートのことなどは、自分の「言いたいこと」であって、しかも自分以外の誰かに届く可能性を感じられる、大切なネタでした。これらのネタを、ゆっくりとしたペースで大事に書いていけば、当面は続けられる気がして、少し安心しました。

そんなわけで、大きな疑問を一旦棚上げにして、思い切って「単純作業に心を込めて」を始めてみたのでした。

結果として、とりあえず実際に始めたことは、よい選択でした。実際にブログを始めてみると、「言いたいこと」が終わってしまう心配は、全然なかったからです。

というのも、ひとつの「言いたいこと」をブログ記事として書き上げ、公開すると、そのプロセスの中から、新しい別の「言いたいこと」が複数現れたからです。だから、いつまでたっても、「言いたいこと」が終わりませんでした。

最初にこれを感じたのは、当時使っていたAndroidスマートフォンの使い方を書いたときでした。

そのとき私は、Androidスマートフォンの使い方やその基本となる考え方の全体をカバーする記事を書きたいと思い、スマートフォンに求めるもの、キャリアとの契約、OSの設定、インストールするアプリ、アプリの使い方などを、総花的にまとめた記事を書きました。この過程で、「キャリアとの契約のうち、通信量についての仕組みと考え方」や「バーチカル表示のカレンダーアプリ」のことだけをもっと掘り下げて書きたい、と感じました。

さらに、カレンダーアプリのことを書くとGoogleカレンダーのことを書きたくなり、Googleカレンダーのことを書くと紙の手帳を使うか否かのことを書きたくなり、というように、次々と新しい「言いたいこと」が現れました。

つまり、ひとつの「言いたいこと」をブログ記事として書き上げて公開するプロセスから、新しい「言いたいこと」が複数現れ、この動きが芋づる式に続いていったのです。

道具にも助けられたと思います。

当時、私は、Evernoteでブログ記事を書いていました。Evernoteで原稿を書くと、すべてがEvernoteのなかで完結します。ファイルの新規作成も保存もありません。ひとつの「言いたいこと」を文章にする過程で、別の「言いたいこと」が浮かんできたら、Evernoteから外に出ることなく、その別の「言いたいこと」を、簡単に捕まえられます。

こうして、私のEvernoteの中には、「言いたいこと」の断片が、どんどん膨れ上がっていきました。ブログ原稿用のノートブックの中に増殖するノートを眺め、私は、少なくとも「言いたいこと」が終わってしまうかも、という疑問は、まったくの杞憂だったな、と感じました。

参考

その後、ブログ原稿を書くための道具はEvernoteからWorkFlowyに変遷しましたが、基本的な動きは変わっていません。

ざっくり言えば、ひとつの「言いたいこと」をブログ記事として書き上げ、公開する過程で、だいたい10個から20個の「言いたいこと」が浮かんでくる、という感覚です。書けば書くほどまだ言えていない「言いたいこと」が増えるので、いつまでたっても追いつくことはないんだろうと思います。

言いたいことは、終わりません。

だから、ブログを始めようとするときに、

  • 果たして自分の中に、わざわざブログを立ち上げてまで書くに値する「言いたいこと」があるのだろうか?
  • もしも「言いたいこと」が見つかっても、いくつかの記事で言い尽くしてしまって、言いたいことが終わってしまうのではないか?

という疑問を感じたとしても、完全にこの疑問を解消するまでブログを始めちゃいけないとは考えないで、とりあえず実際に始めてみるとよいと思います。

【自分の中に「言いたいこと」を発見できるうれしさ】

今回の記事は、これで一区切りです。

「問い」「答え」「理由」でまとめると、

  • 問い
    • ブログを始めようとするときに、「果たして自分の中に、わざわざブログを立ち上げてまで書くに値する「言いたいこと」があるのだろうか?」「もしも「言いたいこと」が見つかっても、いくつかの記事で言い尽くしてしまって、言いたいことが終わってしまうのではないか?」という疑問が浮かんできたら、どうするといいか?
  • 答え
    • とりあえずブログを始めてみるとよい。そして、現時点で手元にある「言いたいこと」を、出し惜しみせず、ブログ記事として書き上げ、公開してみるといい。
    • ブログ記事を書き上げ、公開するプロセスの中から、新しい「言いたいこと」がたくさん見つかる。言いたいことは、終わらない。
  • 理由
    • 疑問を持つこと自体は悪くないけれど、ブログを始める前にこの疑問を完全に解消しようとすると、身動きがとれなくなる。だから、この疑問は一旦棚上げにして、とりあえず始めてみるのがよい。
    • そして、ブログを始めたら、現時点で手元にある「言いたいこと」あるいは「なんとなく言いたいような気がすること」を、出し惜しみしないで、かたっぱしから記事にしてみる。
    • すると、ひとつの記事を書き上げ、公開するプロセスの中に、新しい「言いたいこと」が、たくさん発見される。1個の「言いたいこと」を記事にすることで、10個や20個の「言いたいこと」が発見されるくらいの感覚で見つかる。
    • だから、「言いたいこと」が終わってしまうことはない。

となります。

今回の記事は、基本的にはこれで尽きるのですが、もう少しだけ先のことを書かせてください。それは、[「言いたいことは、終わらない。」が、すごくうれしい]ということです。

「言いたいことは、終わらない。」は、必然的に、言いたいことがあるのに、まだ言えていない、という状態を伴います。言いたいことがひとつあるとして、その言いたいことをどうにかブログ記事にすると、別の言いたいことが10個も20個も出てくるのです。いつまでたっても追いつけず、常に、「言いたいけれど、まだ言えていない。」がたくさん残っています。ストレスを感じそうです。

たしかにそんな気がするときもあります。ですが私の実感では、それ以上に、うれしいことでもあります。それは、「自分の中にこんな「言いたいこと」があったんだ」という発見のうれしさです。

西研さんが『実存からの冒険』という本の中で、音楽を例に、「感受性の回路が開かれる」ということを書いています。

音楽には、いろいろな質があって、「カッコいい!」というものもあれば「うーむ、アジがある」とか、「懐かしい響き」があったり、それはもう、ほんとうにさまざまである。さいしょはピンとこなかったものが、だんだんと自分に沁み込んできてすごくその良さがわかってくる、ということもある。それは、じぶんのなかに新しい感受性の回路が開けた、ということだから、すごく嬉しいこともある。

つまり、音楽を聴くということは、無意識ではあっても、どうじに自分の感受性を確かめ、それを新しくしていく、ということでもあるのだ。そして、自分の感受性がより洗練されたり新しくなっていくことで、より深く味わえるようになっていくのである。

pp.242-243

音楽を聴きこんでいく過程で、自分の感受性を確かめ、新しくしていくことで、自分の中に新しい感受性の回路を開くことができる。そうすると、今までよりも深く音楽を味わえるようになって、それがとてもうれしい。

そんな話です。

ブログを続ける中で、新しい「言いたいこと」が出てくることも、同じようなところがあると感じます。

ひとつの「言いたいこと」をブログ記事にするプロセスで出てくる「言いたいこと」は、自分と無関係な外側からやってくるものではありません。そうではなくて、もともと自分の中にあった何かを「言いたいこと」として発見しているのではないかと思います。

もともと自分の中にあった何かとは、つまりは、これまでの自分の人生です。これまでに読んだ本、これまでに誰かと一緒に過ごした時間、これまでに取り組んできた仕事、これまでに抱えていた悩み。そんなこれまでの人生があって、だから今、自分の中に、たくさんの「言いたいこと」があります。

そんな「言いたいこと」を発見するのは、西研さんの言葉でいえば、自分の人生をより深く味わえるようになり、自分の人生に対する新しい感受性の回路を開くというようなもので、すごくうれしいことなんじゃないかと感じています。

ひとつの「言いたいこと」をブログ記事の形にしようとすると、たくさんの「言いたいこと」を発見できます。いつまでたっても、言いたいことは、終わりません。これ自体が、すごくうれしいことです。

—編集後記—

今回は、自分自身がブログを始めようとしていたときに悩んでいた、「自分の中に、ブログ記事を書いてまで「言いたいこと」があるんだろうか?」という疑問に対して、「とりあえずブログを始めてみれば、いろんな「言いたいこと」を発見できる。言いたいことは、終わらない。だから大丈夫。」という回答を示してみました。

この回答のポイントは、ひとつの「言いたいこと」をブログ記事として書き上げて公開するプロセスの中から、たくさんの「言いたいこと」を発見できるというメカニズムにあります。

とはいえ、このメカニズムをうまく機能させるには、いくつかの条件が必要な気もします。次回は、このあたりのこと、ひとつの「言いたいこと」をブログ記事を書き上げ、公開するプロセスの中から、たくさんの「言いたいこと」を発見するというメカニズムのために、どんなことが大切なのか、考えてみます。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。2週間後にまたお目にかかれたらうれしく思います。

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