ブログは、私に、何を与えてくれたのか?(普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ)

こんにちは。「単純作業に心を込めて」彩郎です。連載「普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ」の第5回をお届けします。

前回までで書いたのは、4年前、私が、自分の毎日に平和な閉塞感を感じ、その閉塞感を解消すべく、ブログを始めてみた、ということでした。

それから4年が経ちました。2016年5月31日現在、私はまだブログを続けています。

ブログというものは、自分から辞めなければ続けられますので、続けていること自体にどれだけの価値があるかはいろんな考え方があるとは思うのですが、そうはいっても、4年間続けるには、4年の時間がかかります(当たり前です)。

それだけの時間、なぜ、私はブログを続けられたのでしょうか。

この理由をふり返ってみます。

【ブログを続ける原動力として機能してきた諸々】

ブログを始めたとき、私がブログに求めていたものは、

  • 試行錯誤のための実験場
  • 店長からのおすすめの一品をお客さんに提供できる場所

という2つでした(平和な閉塞感は、解消すべき課題なのか?(普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ))。

この2つは、抽象的な理念としては、この4年間、一貫しています。

でも、ブログを続けるということは、記事を書いて公開するという具体的なことです。その過程には、文章を整えたり、裏付け資料を探したり、HTMLタグを整えたり、要するにすごく面倒なことが、たくさん存在しています。抽象的な理念だけでは、なかなか進みません。

これら面倒なことを乗り越えることを助けてくれるのは、もっと具体的な何かです。私自身は、いろんなものから原動力をもらうことで、ひとつひとつの記事を書き続けることができました。この4年の間に、原動力として機能してきた諸々を、ひとつずつふり返ってみます。

(自分の試行錯誤を記録し、公開する)

最初は、自分の試行錯誤を記録することが原動力になりました。

試行錯誤は、特別なものではありません。特にそうしようと思わなくても、普通に日常生活を送っているだけで、毎日の中にはいろんな試行錯誤があるものです。たとえば、MNPしてスマートフォンを機種変更する、バーチカル表示のカレンダーアプリを探す、タスク管理を担うクラウドサービスを使い始める、ということの中にも、無数の試行錯誤が潜んでいます。

でも、何もしないと、これらの試行錯誤は流れ去ってしまいます。だから、ブログを使って、試行錯誤を記録することにしました。

たとえば、MNPの仕組みを調べて、MNP手数料が課金される条件を調べたときに、この記事を書き(MNP予約番号を発行しても、使わなければ、解約にならないし、手数料もかからない)、

バーチカル表示可能なAndroidのカレンダーアプリを探してBusinessCalendarに出会ったときにこの記事を書き(バーチカル表示がうれしいAndroidのカレンダーアプリ。私がBusiness Calendarを愛用している理由)、

自分なりにしっくり来るToodledoの使い方にたどり着いたときにこの記事を書きました(Toodledoで人生が変わったサラリーマンの、Toodledo運用例・全部入り(2014.2段階))。

ブログに書いておけば、自分がどんな試行錯誤をしてきたかをふり返るための記録にもなります。

と同時に、今後、どこかで、同じような試行錯誤を始める誰かにとって、多少なりとも役に立つかもしれません。自分の試行錯誤の成果をおすそ分けする感覚です。

(ブログ自体をゲームと捉える)

そうしているうちに、少しずつPVが増えていきました。せいぜい1日10PVくらいだったのが、1日100PVを超える日も出てきて、ついに1日1000PVくらいになったのです。

こうしてじわりじわりとPVが伸びる様子を目にして、これをもっと伸ばしてみたい、と思うようになりました。育成ゲームのような感覚です。

育成ゲームのように捉えようとしてみると、ブログは、なかなかいい線をいっています。

たとえば、

  • PVなど、客観的な数値が刻一刻と変化すること
  • アクションに対してのレスポンスが返ってくること
  • 装備を考えたり、ステージを進んだりできること

などは、面白いゲームの条件ともつながっています。

だから、私は、ブログを育成ゲームとして楽しむことにしました。

ブログというゲームのルールを設定したい

重視していた指標は、基本的にPVです。どんな記事をどのように書くとPVを伸ばすことができるか、試行錯誤しつつ、ゲームのように楽しんでいました。

(AdSenseからの収入が、現実的な原動力に)

PVを増やすゲームとしてブログは、当初、順調でした。多少の波がありながらも着実に伸びて、1日1000〜2000PV・月間5万PV程度の大きさまで育成することができました。

次は何をしようかなと思い、ブログ関係のカスタマイズを調べた結果、GoogleAdSenseを導入することにしました。月間5万PVのブログにGoogleAdSenseを設置すると、1万円弱くらいの収益が期待できる可能性があるとの情報を知り、「それならIT関係費用をブログだけで自給自足できるではないか!」と気づいたためです(IT関係費用の自給自足を視野に入れて、ブログへの広告設置を検討)。

設置してみると、GoogleAdSenseは、月1万円〜2万円程度の収益を生んでくれました(最初の1ヶ月と少しを終えた段階で、Google AdSenseとのつきあい方を考える)。

ささやかな金額ではあります。でも、小さい金額ではありません。なんだかワクワクして、一時期は、スマートフォンからGoogleAdSenseのアプリをチェックするのが、すきま時間の習慣になっていたほどでした。

結果として、ブログ記事更新のモチベーションも湧いてきました。お金というのは、確かに、現実的な原動力として機能します。

(書きたい記事を書きたいだけ書けることのうれしさ)

PVとAdSenseを原動力とするブログ運営が、しばらく続きました。PVは一応は順調に伸びていましたし、AdSenseもIT関係費用を自給自足できるくらいにはなりました。

でも、いつのまにか、ブログ記事を書くことが、それほど楽しくなくなっていました。

大きな理由は、[書きたい記事]と[読まれている記事]の不一致です。

当時、よく読まれていたのは、docomoの通信量制限とか、MNP手数料とか、Androidの新機種情報とかの記事でした。これらの記事をどんどん書き続けていくことがPVを伸ばすことにつながることは明白だったのですが、私にとって、これらの記事は、それほど書きたいものではありませんでした。

他方で、自分が書きたい記事を書いても、ほとんど読んでもらえません。たとえば、私は、HTMLの思想をとてもおもしろいと思い、4年以上前にこんな記事を書いたのですが(HTMLの思想って、おもしろい。)、この記事が4年間で獲得したPVは、400です。平均すると、4日に1PV。さきほどのMNP手数料の記事が累計24万以上のPVを獲得していることと比較すると600倍の差で、なんというか、言葉がありません。

PVを増やすために書くべき記事と、自分の書きたい記事が一致しない。この不一致がブログというゲームの楽しさを阻害していることに気づいた私は、不一致を解消したいと思いました。

しかし、自分が書きたい記事のPVをすぐに伸ばすことはできませんので、客観的に[よく読まれている記事]=[自分が書きたい記事]という状態を実現することは、とても大変です。だから、PVを自分の主観的な視界の外に追い出すことに決めました。具体的には、スマートフォンからGoogleAnalyticsとGoogleAdSenseを確認するためのアプリを削除して、PVとAdSenseをチェックする習慣をやめました。

これは、ブログというゲームのルールを自分で書き換えることでもあります。PVとAdSenseを指標にすることをやめて、「自分が書きたい記事を書く」という新しい指標でゲームを再開したというわけです。

「PVを稼げそうか?」という指標を外し、純粋に自分が書きたい記事を書くようになって少し経って、「自分のブログは、ひとつの記事をひとりの読者に届けるための限界費用が、おそろしく低い」ということに気づきました。

自分のブログなら、そこに新しい記事をひとつ追加するために必要な費用は、ほとんどゼロ、無視できるほどの大きさです。だったら、書きたい記事を書き惜しみする必要はありません。まだ材料が足りないとか、まだ考察が不十分とか時間が少ししかないとかいったことは考えずに、その時点で書けるところまでをとりあえず書いて、書ききれないところがあれば、また新しく書けばよい、と思うようになりました。

心から書きたいテーマやネタこそ、気楽に、どんどん、何度も、書く

書きたい記事を書きたいだけ書けることは、少なくとも私にとって、とてもうれしいことでした。こうして、書きたいことを書きたいだけ書けることそれ自体のうれしさが、(PVやAdSenseに代わり、)ブログ記事を書く原動力として機能するようになりました。(2015年になってから書き続けているWorkFlowyに関連する記事も、この原動力によって支えられています。)

(ブログを自分の場所と捉え、育てる)

書きたい記事を書きたいだけ書くことを続けているうちに、自分のブログの中に、自分が書きたくて書いたお気に入りの記事が、少しずつ増えてきました。そのことがとてもうれしくて、少しずつ私は、自分のブログ全体をひとつの実体のように捉えるようになりました。

ちょうどその頃、『Chikirinの日記の育て方』という本を読みました。「Chikirinの日記」という巨大ブログの主宰者であるChikirin氏が、自分とブログの関わりについて書いた本です。

この本から私がいただいた大きな収穫は、「ブログを自分の場所として捉え、育てる」という発想です。自分のブログは、やりようによっては、そこで自分が何かをするための場所になります。個々の記事を書き、公開するときに、この「自分の場所を育てる」という感覚を持つことで、ブログに対するスタンスが明確になりました。

『「Chikirinの日記」の育て方』を読んで、「単純作業に心を込めて」というブログをどんな場所に育てたいのか、考え始めた。

私自身は、自分のブログを、「なにかおもしろいことができる自分の場所」に育てたいと考えました。

なにかおもしろいことができる自分の場所を育てる。『「Chikirinの日記」の育て方』を読んだその後。

こうして、(個々の記事を書くことに加えて、)ブログそのものを「なにかおもしろいことができる自分の場所」へと育てることが、ブログを続ける原動力に加わりました。

(セルフブランディングを実践した先にある世界で生きる)

ブログを始めて2年半ほど経った2014年10月、倉下忠憲さんの『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』という本を読みました。

当初、私は、セルフブランディングというものに、気恥ずかしさを感じていました。なんとなく押し付けがましい印象を感じます。また、自分には必要ないとも考えていました。ブログで名を売って独立したいわけでもありませんし。

でも、この本を読んで、そうではないことを知りました。セルフブランディングとは、大きな声で自分のよいところを宣伝することではなく、自分をよく見せるための技術でもありません。

自分の価値は、他人によって見い出されるものです。他人から価値を見出してもらうためには、それなりの条件を整えておく必要があります。セルフブランディングとは、この条件を整える作業です。自分のどこかに価値を見い出してくれるかもしれない誰かへと、自分の一部分を届けること。そんな誰かから、見つけてもらえるような状況に、自分をおいておくこと。これが、セルフブランディングです。

セルフブランディングがうまくいけば、[自分の持ち味を発揮すること]と[価値を見い出されること]がつながります。好きなように自分の持ち味を発揮し続ければ、結果として、そこに誰かが価値を見出してくれるかもしれない。『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』を読んで、そんなセルフブランディングを実践した先にある世界で生きることにあこがれるようになりました。

『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』は、タイトルこそ「Facebook」「Twitter」ですが、これらと並んで、ブログを重視しています。以後、私は、この本をバイブルに、セルフブランディングを実践した先にある世界で生きることへのあこがれを原動力として、ブログを行うようになりました。

(自分史上最強の知的生産ツール)

大学生の頃に『知的生産の技術』『知的生活の方法』『思考の整理学』といった本を読んでから、知的生産にあこがれて続けていました。

知的生産にあこがれるまま、知的生産を支えてくれそうな道具を試し続けてきました。

そんな遍歴の中で、今、思うのは、「ブログは、自分史上最強の知的生産ツールだ。」ということです。

ブログが自分史上最強の知的生産ツールである理由のひとつは、アウトプットの場になるからです。知的生産とは新しい情報を生み出すことなので、アウトプットしなければ完結しません。ですが、研究者でも作家でもない普通の個人にとっては、アウトプットの場をどこに持つのか自体が、問題になります。これに対して、ブログを使えば、誰だって簡単にアウトプットの場を持つことができます。だから、ブログは知的生産ツールになるわけです。

でも、それだけではありません。

いくぶん単純化したモデルですが、知的生産は、

  • 情報のインプット
  • 情報の組み立て(考える)
  • 情報のアウトプット

という情報の流れです。

アウトプットの場としてのブログは、このフローにおける最後の段階に着目しています。でも、自分のブログに記事を書くことは、もっと前の段階であるインプットや考えることとの関係でも、大きな意味を持っています。

たとえば、ある本を読んだ後、その本の書評をブログに書くと、その本から得られる収穫は、確実に増えます。書評記事をアウトプットすることで、本からのインプットの質が向上するわけです。自分のブログに書評エントリを書くことは、究極の読書術でもあります。

たとえば、何かのテーマに関心を持ったなら、そのことをブログ記事に書いてみようとします。すると、現役効果が発揮され、そのテーマについての考えが進みます。

これを少し抽象的に見れば、知的生産のフローをどこからどのように流すのか、という方向の問題です。つまり、ぱっと考えると、知的生産のフローは、インプット→考える→アウトプットという方向で流れるので、入口であるインプットからプッシュするのがよさそうなのですが、それとは反対に、ブログ記事を書くというアウトプットからプルすることで、知的生産のフローを流す、というのもありなのではないか、ということです。私はこれを、プル型知的生産と呼んでいます。

ブログにひとつ記事を書けば、その分、知的生産のフローが流れます。ブログを続けてきたおかげで、私は、自分の生活の中に、たくさんの知的生産のフローを流すことができています。

これも、私がブログを続けていられる大きな原動力です。

【ブログは、私に、何を与えてくれたのか?】

ブログを続ける原動力として機能してきた諸々は、少し視点を変えると、私がブログから受け取ってきた諸々でもあります。

まとめとして、「ブログは、私に、何を与えてくれたのか?」への回答を考えてみます。

1.自分の試行錯誤の記録・自分のための試行錯誤のおすそ分け

ブログは、自分が積み重ねてきた試行錯誤の記録になります。自分のブログを読み返せば、「自分もいろんな試行錯誤を積み重ねてきたじゃないか」と、再認識できます。

と同時に、自分のために試行錯誤の成果を、誰かにおすそ分けすることができるかもしれません。

2.書きたいことを書きたいだけ書けるうれしさ

ブログは、新しいことをひとつ書くために必要な限界費用が、ほとんどゼロです。だから、書きたいことを書きたいだけ書くことができます。

書きたいことを書きたいだけ書けることは、それ自体がうれしいことで、私にとって、大きな価値です。

3.「なにかおもしろいことのできる自分の場所」と、自分の場所を育てるゲーム

現時点で、自分のブログは、かなりの程度、「なにかおもしろいことのできる自分の場所」になっていると感じています。たとえば、ブログという自分の場所のおかげで、私は、HandyFlowyとMemoFlowyというアプリ制作に関わることができました。

それと同時に、自分のブログを「なにかおもしろいことのできる自分の場所」へ育てようとすることそれ自体は、面白いゲームになります。私の場合、ブログは、PVやAdSenseを指標とするゲームとしては、いまいちでした。でも、「なにかおもしろいことのできる自分の場所」へと育てるゲームとしてであれば、実に楽しくプレイすることができています。

4.[自分の持ち味を発揮すること]と[自分に価値を見い出してもらえること]がつながった状態

ブログを続けることで、自分が出せる情報をウェブに増やすことができます。それが、ウェブ時代のセルフブランディングです。

セルフブランディングを実践した先には、[自分の持ち味を発揮すること]と[自分に価値を見い出してもらえること]がつながった世界が広がっています。

5.知的生産のフローが流れる生活

ブログは、自分史上最強の知的生産ツールです。

ひとつには、ブログがアウトプットの場を与えてくれるからなのですが、それだけではありません。ブログを続けることで、読み、考え、書く、という知的生産のフローが、同時並行でたくさん流れていきます。

ブログは、私に、知的生産のフローが流れる生活を与えてくれました。

—編集後記—

この記事では、「なぜ、4年間、ブログを続けることができたのか?」「ブログは、私に、何を与えてくれたのか?」という問いを考えながら、私がブログを続けることを可能にしてくれた原動力をふり返りました。私自身の個人的な性格や価値観によるところも大きいかもしれません。ですが、それなりに多くの人に通じる部分が、ところどころ含まれているといいなと思います。

次回は、今回の話を踏まえて、もう少し一般的な形で、ブログを長く続けるためのコツを考えてみます。

ちなみに、この記事も次回の記事も、「ブログを続けることには価値がある」ということを当然の前提としています。ブログは、継続が力となるメディアです。このあたりのことは、次々回以降に、経験談を交えながら、少しずつ考えていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。2週間後にまたお目にかかれたらうれしく思います。

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