今までアリガトウ。
エビデンス、エビデンス、エビデンス。
犬も歩けばエビデンスに当たる。猫も杓子もエビデンス。
そんな時代にも関わらず、いやだからこそ、エビデンス主義に別れを告げようと思います。
エビデンスってなに?
そもそも私が別れを告げようとしているエビデンスとは何かと言うと、ライフハックやタスク管理術が紹介される際についてくる、「アメリカ ノースカロライナ州の大学の研究によると~」みたいなやつです。アレですよ、アレ。
こういう記述を読むと私たちは、「あぁ、アメリカ ノースカロライナ州の大学の研究により効果が証明されてるなら、自分にも効果ありそうだな」と思います。
私たちは書かれていることの保証が欲しいのです。安心したいのです。
昔、十数年前は、今ほどエビデンスが重要視されていなかったように感じます。
少なくとも、アマゾンの本のレビューで「ちゃんと引用元論文を明記してるので、星5つです!」みたいな書き込みは見ませんでした。
(このレビューを見たときは「エビデンス主義、ここに極まれり!アッパレ!」と思いました)
それがなぜ、今、これほどエビデンスが重要視されているのか?
私は、コスパ至上主義者が増えたからだと考えています。
コスパ至上主義者は、買い物だけではなく、自分の行動のコストパフォーマンスも良くしないと気が済まない。コスパを良くするために必ずパフォーマンスの出る行動しか取りたくない。だから「エビデンスで効果が実証されていること」を非常に重要視する。
今、世の中はそんな流れになっているのではないかなと思います。
「良い」研究ってなに?
ここでエビデンスになっている「研究」に話を戻します。
「良い」研究ってなんでしょうか?
より深刻な問題を解決し、より多くの人に効果がる研究ではないでしょうか?
多くの研究者は基本的に良い研究をしようと思っているはずなので、研究とは基本的に「より深刻な問題を解決し、より多くの人に効果のあること」の実現を目指して行われます。
つまり、より深刻な問題を解決できるかは研究テーマによるので何とも言えませんが、少なくとも、ライフハックやタスク管理術の紹介についているエビデンスは、より多くの人に有効であると(度合いはどうであれ)証明されたものということです。
だからこそ、「自分にも有効そうだな」と思えるわけです。
平均より「ちょい上」っ子たち
さて、コスパ至上主義者が強いエビデンスを持ったライフハックやタスク管理術ばかりを修得しまくったらどうなるでしょうか?
普通よりほんのちょっとだけデキる、でもほんのちょっとだけしかデキない人間のできあがりです。
普通の人は、知識を得てもそれを実践しないので、ライフハックやタスク管理術を修得して実践していたら、その様な人達と比べてデキる、もしくは実際は別にデキてないけどデキるように思われます。
「効率を考えたら、メールを受信する度に対応するんじゃなくて、時間を決めてまとめてメール処理した方がいいんだよ。同じ作業を繰り返し行うから作業効率が上がるし、何より、『今ココ』に集中できるだろ?マインドフルネスだよ。キミも知っているだろう?」とのたまう人がいたら、「あ、何かこの人デキそう」って思うでしょう?実際にデキるのかデキないのかは、一緒に仕事してみないとわからないのに。
でも結局、その差はほんのちょっと、ほんのちょっとだけデキるだけです。
だって、より多くの人に効果があることをやっているだけなのだから。
「より多くの人に」を「誰にでも」と言い換えた方が伝わりやすいかも知れません。
誰にでも効果があることをやっているだけなのだから。
誰にでも効果があることをやっていても、それは他の多くの人もやっているわけで、結局、多くの人の一人になるだけです。
だから、強いエビデンスを持ったライフハックやタスク管理術を習得しまくっても、受験の偏差値で言えば偏差値55~60付近まで行くだけです。
偏差値55~60とは上位30%~15%ぐらいであり、私みたいな寝坊で大学留年する、下から数えた方が早いような人間からしたら万々歳です。
だからこれまで、コスパが悪くならないように、エビデンスを重要視し、色んなライフハックやタスク管理手法を習得してきました。
そう、今まで出してきた例は私自身です。
会社から見ても、上位30%~15%に入っている社員はそこそこ優秀な社員なので、良きサラリーマンとして会社員生活を送れるでしょう。
終身雇用が守られるならば。
ようこそ、VUCAの時代へ
残念!終身雇用は崩壊しました!
これからは、VUCAの時代です!
- Volatility(変動性)
- Uncertainty(不確実性)
- Compexity(複雑性)
- Ambiguity(曖昧性)
の時代です。
普通よりほんのちょっとデキるぐらいじゃ、生き残れません。
偏差値60、65じゃまだ足りず、70ぐらいないと対応できないかも知れません。
いや、偏差値とかいう”平均”を指標としたモノサシで考えている時点でアウトかも知れません。
ならばどうするか?
エビデンスへの執着を捨てることです。
エビデンス付きのノウハウを集め、習得すればするほど、平均的な人間と同じ属性が自分の中に増えていきます。
「みんなに効果があるから」「みんながやっているから」
安心と引き換えに、自分を平均化しているのです。
「多様性を!」と叫びながら、みんなと同じ行動を好んで取っているのです。
なかなかウィットに富んだジョークですよね?
エビデンスにすがるな。自分のやり方は自分で開発しろ
では、そんなVUCAの時代を生き抜くためにタスク管理でできることは何か?
自分に合ったタスク管理手法を自分で開発する
これに尽きます。
自分に合った一点物のタスク管理手法を開発できれば、偏差値70どころかスーパーサイヤ人になれるかも知れない。
自分がスーパーサイヤ人になる為の自分だけに合った方法を見つけるには、エビデンスなんて○○喰らえなわけですよ。
「アメリカ ノースカロライナ州の大学の研究の被験者で有効だからって、なんで自分にも有効だと言えるの?」
「この人しか主張していないけど,自分には有効ではないってなんで言えるの?」
たった一つの指針は、「自分に合うか合わないか。自分がスーパーサイヤ人になれるかなれないか」です。
どれだげ多くの人に有効か否か、などどうでもいいことです。
私たちは、スーパーオリジナルなわけです。
父さんから母さんへのオートクチュール、十月十日の超特注。
つまり一点物なわけであり、何かにビビって最大公約数の結果であるエビデンスばかりに頼って自分の可能性を狭めたらイカンわけです。
サヨナラ、エビデンス。
安定していた時代の産物、今までアリガトウ。
イド♂です。スイス・ドイツを経てイタリアで妻と子どもと生活しています。社会人になってからほぼ1年に一回、転勤や部署異動をしている経験から、多視点からのタスク管理論が持ち味です。ひばち(@Evaccaneer )さんと二人で、タスク管理イベント「TaskFreaks!!」を主宰しています。
テーマ別で下記2つのブログを運営していますが、現在のメインは「TaskArts」。Twitterですべてのブログの更新情報を流しています。
座右の銘 : 「生きるとはタスク管理することである」