新サラリーマンへ。思考は現実化するから気をつけろ。あえてコスパ悪くなれ。正論に囚われるな。

お久しぶりです。TaskArtsのイド♂(@idomars)でございます。

イタリアに転勤になったため、ドタバタしていて前回の投稿から間が空いてしまいました。

今回は4月ということで、新サラリーマンに向けて、サラリーマンを始めたばかりの自分が当時から知っていれば、なろう小説並みに無双できていたであろう秘中の秘をいくつか書きます。

残念ながらわたしはエリートサラリーマンでもないし、社外で大活躍しているインフルエンサーでもありません。しかもあくまでわたし一人の体験に基づいた話なので、近所で先に就職した兄ちゃんからの助言程度に、言い換えればちょっと頑張っている一般的なサラリーマンが考えている事として捉えといてください。

「どういう(サラリーマン)キャリアを歩んだ上での考えか?」も重要だと思うので、参考までにわたしの経歴をサラッと説明しておきます。

現在32歳、既婚&子ども一人。アホほど勉強してどうにか有名私立大学に入学。単位不足で留年後、アホほど内定貰えず、どうにか従業員数5000人規模の一部上場企業に拾ってもらう。約4年間、国内で営業を担当後、新しい営業支援チーム立ち上げに携わる。その後、新婚生活一年も経たないうちに欧州営業子会社社長補佐のため、スイスへ転勤。ドイツで現地営業受発注管理チーム立ち上げを担当し、管理職級へ昇進。現地営業支援としてイタリアへ転勤。今に至る。

もっと赤裸々なわたしのキャリアに興味がある方は下記記事をどうぞ。

1: 最近、北風強い風潮だけど、太陽になると全然違う

最近、「ブラックな労働環境を撲滅せよ!」と会社に対してガンガン攻めていく、「北風と太陽」の寓話で言う北風的態度を取るべきという世論が強くなっていると感じます。

社会全体の流れとしてはとても良いことです。

しかし個人レベルで考えると、太陽的態度も悪くはないよっていう話をしましょう。

決められた時間だけ、自分の能力を会社に提供し、対価を得る

これが、自分が入社してから6年間ぐらい持ち続けた考えです。

会社から仕事をもらって働く外注業者のような気持ちです。仕事とプライベートはカッチリわける感じ。当時書いたブログ記事が下記ですが、この記事からもそんな感じがわかって頂けると思います。

新人・若手の頃はこの考えで何の問題もありませんでした。しかし、中堅に差し掛かって来るに連れて、時間的にも評価的にも、この考えを貫くには厳しい状況になってきました。

他人事から自分事へ、受動から能動へ

そこで仕事を「会社から頼まれてやっていること」という他人事として捉えるのでなく、自分事として捉えることにしました。

そうすると行動が変わってきました。

自分事として捉えると、言われたことをやる受動的な態度から、「仕事に付加価値を付けるにはどうすればよいか」という能動的態度に変わるからです。

すると評価も良くなります。

よく偉人とかが言っている「仕事を愛しない」という言葉は間違っちゃいないということでしょう。

自分も「天職でもないのに愛せるわけないだろ。就職じゃなく就社したんだよ、自分は。」と思いながら聞いていました。

しかし、成果を出すには仕事を愛するまでは行かなくとも、自分事として考え、能動的に動くことは必須要件であると、7年経ってやっと気付き、そしたら良い感じになってきたというお話です。

思考が変わると現実が変わる

以前の私と会社との関係性は、下記みたいな感じでした。

自分「決められた時間しか働きません。時間内に終わらないのであれば、それは会社側の責任ですよね。」

会社「コイツ、言われたことしかやらんな。全然こっちの期待値に達してないから、もっともっと仕事を与えよう。」

自分「どれだけ仕事詰めて来るんだよ。これ以上できません!」

会社「言われたことしかやらんのに、仕事量もこなせないのか。使えんな。」

自分「全然評価されないし、やたら仕事を振ってくる会社は敵だ!敵から自分を守るために、これ以上はできない証拠を集めないと。そもそも労基法違反じゃないのか?ブラック企業!ブラック企業!」

会社「はいはい、できない理由探しね。実際できている人いるから、君は彼らより下に居続けてください。」→一つ上に戻る

それが下記のように思考を変えたことで、現実の会社との関係性も変わったのです。

自分「自分の時間が!労基法が!とか言わずに、付加価値出してやりましょうか。」

会社「コイツ、期待値以上の仕事するな。口うるさく指示しなくても大丈夫そうなので放っておこう。」

自分「なんか、とやかく言われなくなったぞ。時間できたからもっと付加価値出すために使うか。」

会社「いいじゃん、いいじゃん。管理職にしときますね。さらに頑張ってください。」→一つ上に戻る

考え方=思考次第で、まさに負のスパイラルから正のスパイラルに変わるのです。

ボールはともだち

自分が入社した会社は、社会というフィールドでビジネスというゲームをするための道具、つまりサッカーボールです。

漫画「キャプテン翼」の主人公、大空翼は子どもの頃から「ボールはともだち」と思い、ボールと慣れ親しんだ結果、名プレーヤーとして活躍しました。

翼くんが子どもの頃使っていたサッカーボールは、きっとそんなに品質の良いものではなかったでしょう。

そんなボールとも、「空気圧が低い」「真球からほど遠い」などの欠点探しをせずに、仲良くやっていたのです。

会社の欠点探しばかりせずに、自分から心を開いて太陽になり、ともだちになりましょう。まずはGiveです。Takeから始めても良いことないです。

会社や上司を敵と思っていると敵のままだし、会社や上司を仲間と思っていると仲間になる。そんなもんです。

2: コスパ!コスパ!って言ってると会社で評価されない

今の若い世代はコスパにうるさいです。かくいうわたしも、何かに投資する時はコスパを確かめるために事前調査を欠かしません。

ここで問題です。

あなたは次の1と2の選択肢があった場合、どちらを選ぶでしょうか?

  1. 3の労力で6の成果があるやり方
  2. 2の労力で5の成果があるやり方

コスパ重視の人は2を選ぶでしょう。

1は2倍の投資効果しかありませんが、2は2.5倍の投資効果があるからです。

賢い選択です。

でも会社に評価されやすいのは1を選ぶ人です。なぜでしょうか?

評価は、「目標に対してどれだけ成果を上げたか」で決まるからです。

サラリーマンの基本的な労力は労働時間です。先ほどの例にこの要素を加え、職種を営業と仮定すると下記になります。

  1. 3時間で6社から受注を取れるやり方
  2. 2時間で5社から受注を取れるやり方

会社では1の人の方が評価されやすいのです。

「ホンっト、会社って頭悪いなぁ」と思ったでしょう?

でも実際そうなのです。労働時間が長くても、成果が多い人の方が評価されます。

なぜなら会社にとって、最終的な成果が最重要だからです。

成果が出れば、手段(過程)がスマートでなくても黙認されることは多々あります。粉飾決算なんてその最たる悪例です。

視点を変えれば、仮にあなたが社長であったとして、

「わたしは非常に効率良く、コスパの良い仕事をして御社に貢献できます!」

と言う人と、

「わたしは大きな成果を出して御社に貢献できます!」

と言う人、どちらを採用しますか?

多くの人は後者を選ぶはずです。

労働者側には「定時で帰れる○○術」とか、生産性=成果/コストの分母であるコストを小さくする技術が人気ですが、会社側からするとコストを小さくする人よりも、成果を大きくする人の方が評価しやすいのです。

「労働生産性の向上が大切だ!」と声高に叫ばれていますが、こういう側面も、会社にはまだまだあるのです。

※「定時で帰れる○○術」とかの本を出せるほどの人は、成果もちゃっかり出しているはず(そうでなければ評価されない)なのに、そのことについて触れないのはズルいと常日頃思ってます。

3: 「あるべき姿」ではない?だからどうした?

今、社会は「会社が社員の能力を100%発揮できるようにすべき」という流れになっています。

しかしそれはまだ、ただの流れであり、現実はその理想に追いついていません。

サラリーマンの先輩のBeck兄さんも徹夜で仕事してるようですし、自分も仕事終わらないから会社に停めた社用車の中で寝たり、ストレスで海馬が縮小したりしています。

そのような社会の現状の中、自分の能力を100%発揮できるか否かは自分に懸かっています。

「会社が社員の能力を100%発揮できるようにすべき」

正論です。

しかし正論を突き通して賞賛されるのは、学問の世界とネットの世界だけです。

イタリアはヨーロッパの中でも交通ルールを守らない人が多い国です。

車の右折や左折専用レーンに並んでいた車が、曲がらずにそのまま直進して来ることなんて日常茶飯事です。

これに対して「びっくりするじゃないか!『あるべき姿』ではない!間違っているのは自分じゃない!イタリアの方だ!」と、正論を言っていてもしょうがありません。

話のネタとして言っているならまだマシですが、本当にそう思ってストレスを感じてたら生活なんてできません。

「あるべき姿」と乖離しているのが社会のデフォルトです。

だからこそ「あるべき姿」を提言する人が出てくるのです。

ありとあらゆるものが「あるべき姿」と乖離している。じゃあ、自分はどうするか?

それを考え実行するのが、社会人です。

先の例で言えば、ストレスフルだからイタリアから出るもよし、右折や左折専用レーンを専用レーンだと思わないようにするもよし、もちろん、「あるべき姿」を実現するためにイタリア政府に国民が交通ルールを守るように働きかけるのもよしです。

4: それでも思う、100%の幸せはどこにあるのか?

今まで紹介した法則やルールを利用して、会社にはそれなりに評価して貰えるようになりました。

それでも、100%幸せではありません。

サラリーマン生活の途中からコスパよりも成果を重視し始めたので、労働時間が長く、他のことができません。労働時間を減らすには、「成果が多く、かつコスパも高い方法」という理想論を追い続け、考え出さないといけません。

裁量が増えると自分から新しい仕事を作っていく必要があるのもしんどい。元々ルーチンによるタスク管理に適正のあるわたしは、新しい仕事を作り続けるのは得意ではありません。しかし管理職級にはそのような働きが求められます。

かと言って、仮に冒頭の北風戦略を取り続け、会社であまり評価されない代わりに、最低限の労働時間だけ働き、パラレルワークで稼ぐという道を選んでも、幸せになれたかわかりません。

会社の仕事ではなく別の仕事で評価を得られるのは嬉しいでしょうが、会社で評価を得られていないことには代わりありません。

そんなやりがいのない状態で、収入のためだけに働き続けても果たして幸せだったのだろうか。

100%の幸せを得るのは相当難しいです。永遠に手に入らないかも知れません。

流行りの「断捨離」や「今ここに生きる」等の心理チートを完全に使いこなせれば実現できますが、心理チート抜きで100%の幸せを得たいと思うなら、追い求め、進み続けるしかありません。

※嫌われる勇気もそうですが、心理チートの穴は、「自分の平穏」しか実現できない点です。関係者がどうなろうとお構いなし。個人主義、ここに極まれりという印象。家族がいると、家族も幸せにしたいと思うので、なかなか受け入れにくくなります。

エピローグ: マジで、ただ一つの正解なんてない。自分の頭で考え続けるしかない。

「社会に出ると唯一の正解なんてない。」

良く言われることですが、本当にそうです。

もうイミフなのです。

今まで紹介した4つのアドバイスが何か煮え切らないのも、それを表しています。

それなのに自己啓発本やネット記事は、たくさんの人に読んでもらうために、社会にあたかも一つの正解・法則があるように書く。

確かにそれはその人やその本や記事の調査対象者からすると、一つの正解・法則なのでしょう。

でも結局のところ、何が正解か、または正解に近いかは、人と時と場合によるのです。

我々はロジックツリーで表現できる世界ではなく、複雑系の中で生きているからです。

だからこそ、自分の頭で「今の状況だと何が正解に近いか?」を考え続けないと不正解に近い選択をしてしまいます。

ある人は「それ即ち苦悩である」と言うし、ある人は「だからこそ面白い」というでしょう。

未来のあなたはどちらになるでしょうか?

まとめ

社会は学校で習うことのように、理路整然としていません。不完全です。理不尽です。不合理です。複雑です。

それに対して学生時代と同じように、正論を吐いても、「だから何?」となります。

カオスな状況の中で、「カオスは良くない!良くないんだ!」と言って不平不満を溜め込むのは、自分から精神を病みに行っているようなもの。

そんな状況の中で自分はどう動くか?を考え、実行するのが社会人です。

社会は、論戦・レスバではなく実行で回っているとも言えます。

実行を司るのは?

そう、タスク管理です。

それでは、良いタスク管理を。

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