「習慣化」のための自己サポート集 11、「手間」と「効果」のちょうどいいところさがし


よし、日記を書いていこう。日記帳が必要やな。買ってきて、毎晩続けていこう。

続かず。なんでや?あぁ、書く項目がないのがあかんかってんな。毎日、何について書くか決めて書いていくようにしよう。テンプレートを用意しておけば書きやすいよな。
日記帳にはテンプレートがあらかじめ記入はされてへんから、ルーズリーフに印刷してそこに書き込んでいくようにしよう。よし、これなら続くかも。

結局、また続かんようになってしまったなぁ。テンプレートを印刷するのん、めんどくさくなってもうた。あと、毎日A5サイズのルーズリーフを埋めるのは、書く分量が多くてちょっとしんどかった。
そやな、手書きやめてテキストで書くようにしよう。これならテンプレートの作成も簡単やし、手間はかなり少なくなるぞ。10分くらいあれば書けるんちゃうかな。

続かへん。なんでや、なんでなんや。もしかしたらまだ、書く分量が多いのかも。さらに減らして、書く項目を少なくしよう。これなら、3分くらいあればいけるやん。

今回は続いてる。いいぞいいぞ。

……

また続かんくなってしまった。しばらくはいい感じに続いてたのに。3分で日記書いてるけど、これ、読み返してもイマイチなんやったかわからんやん。書く意味あるの?とか思ってもうたら、書かへんくなってもうた。。。


どうも、「iPhoneと本と数学となんやかんやと」のchoiyakiです。
「習慣化」についてあれこれ書いているわけですが、以前は日記を書くのを習慣にすることがなかなかできず、なんども失敗を繰り返していました。失敗してはしばらく日記を書かなくなり、また習慣化に挑んでは失敗しちゃう。そんな感じでした。

「1日3分」、手軽さの落とし穴

毎日継続するための一つのコツとして、その行為自体を簡単で手軽なものにする、という方法があると思います。手間がかかることは、めんどうくさくなってしまい、続かない。なら、手間を省けば続けられそうじゃないか、という感じで。
ただ、そこにも実は落とし穴が。
習慣化したいと思う、ということは、その行為・行動は、なにかしら自分にとって価値を感じているからなはずですが、手間を惜しむあまり簡略化しすぎると、価値も次第に薄れていってしまいます。
続けることが目的になってしまい、その行動から得られるものがおろそかになってしまいます。
「1日3分だけ」なら、確かに取り掛かりやすく感じ、実際しばらくはそれで続けることができるようになるかもしれません。ただ、取り掛かりやすくして習慣化できたとしても、1日3分では、これは自分にとって意味あることなのかな?という疑問が湧いてきてしまうようになると思います。この疑問が頭に浮かぶようになると、たいていそのうち続かなくなってしまいます。
で、やっぱ日記書いていきたいな、と再確認し、また習慣化にチャレンジ。手間は増えたとしても、今度は書く内容を充実させてみることに。めんどうくさすぎず、かつ書く意味も感じられるようなほどよい具合を探して。

多少手間をかけたほうが効果を実感し、続くときがあります。極力手間を省いたほうがとりかかりやすくなり、続くときもあります。かける手間と得られる効果がいい塩梅であればあるほど、ながーく続けることができるようになります。
手間すぎるとめんどくてやめちゃう。効果なさすぎると「やる意味あるんか?」でやめちゃう。そういう失敗は、長〜く続けることができるようになるためには必要な失敗です。
何度も失敗しながら、手間と効果のちょうどいい塩梅のところをさぐりつつ、習慣化にとりくむのがGoodです。

ちょっとした手間をかけることで、続くように

ぼくの場合の話を。
日記は、簡略化してけっきょく続かなくなって、手間かけてそれも面倒になってってのを何度も何度も繰り返しました。
手間かけすぎても続かないし、簡略化しすぎても続かない。そんな中、今はいい塩梅のところを見つけ、日記を毎日欠かさず書き続けることができています。
テンプレートにのっとって簡単な日記を書いているだけなので、手間なく書ける簡素な日記ですが、その効果を日々実感しながら書き続けることができるようになりました。
「去年の同じ日の日記に追記する」って一手間をかけることによって。

「日記を書いてポストすると、かってに去年の同じ日付の日記に追記される」仕組みをつくることは、そんなに難しいことではないと思います。やろうと思えば、できる。でも、あえてそれをしていません。
検索すれば、年代別の同じ日付の日記をずらっと並べることができるからそれでいいじゃないか、という考えもあるかもしれません。けど、それではあきませんでした。自分から見に行かなければ読むことができなければ、読まないんですよね、過去の日記って。自然と目に入ってこないと。
そこで、「追記する」一手間が効いてくるわけです。

Evernoteに書き残している、今日と同じ日付の日記を探し、そこに追記していってます。
追記するときに、自然と去年の日記が目に入ってくることになるのですが、これがいい。
目に入ってくると、あぁ、こういうことあったなぁ、もうあれから一年が経ったんか、なんて考えたりします。そういやもうこの時期か、今年もあれせななぁと、やることをリマインドさせてくれたりもします。そのたび、日記書いててよかったって実感します。
この方法に則って日記を書くのは3年目に突入しており、去年と一昨年の日記を読み返しながら、今年の日記を追記する、って状況になってます。

で、この形式が気に入り、日記に加えて、一日のログも去年の同じ日付のログに追記していく、という形で残すようになりました。そっちも長らく続いております。

おわりに

「手間」をかければそのぶん効果を実感できますが、めんどうくささは増します。一方でめんどうくささを取り除きすぎると、手間ははぶけるものの効果が薄れてしまいます。
そんなに手間をかけず、かつ効果を実感できるところが見つかれば、習慣は続いてくれます。ただ、そんなちょうどいい塩梅は、失敗なくしてつかむことはできません。
簡易的なものにしてハードルを下げてみたり、少し手間はかかるけど効果が実感しやすい形にしてみたり。続いたり、続かなかったりを繰り返しつつ、自分にとっていい感じの方法を探っていってほしいなと思います。

では、お読みいただきありがとうございました。

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